たちばなです。
日曜日……ただのノスタルジックな随筆。
ムリに付き合う必要ありません。
文章長いよ。
一昨年の2月に休業宣言して、翌月には事務所を引き払って以来だから……二年半ぶりに、「かつての拠点」だった神田小川町を訪ねた。
そこに住んでいたワケでもない。
土地やビルを持っていたワケでもない。
ただ借りていただけ。
所有物など無く、使用していただけだ。

特に訪ねるつもりも義理も無かったんだが、入居していたビルオーナーのコミュニケーションがあって、クソ高くクソ旨い寿司をご馳走になり、旧交温めたら、猛烈にそこを訪ねたくなったんだ。
ああいった寿司屋で、マスク会食などしている人間も、出てきた寿司をスマホにおさめようとする人間も見なかったよ(笑)
新潟の田舎モンには別世界で眩しく見えた。
東京神田小川町の小川町北ビルには、もうワタシの部屋も椅子も机もない。
そこの番地に登記した会社だって清算しちゃって無い。
順番を待つ悲壮なご相談者の姿も無い。
一時は、ビル玄関前にご相談者が並んだことだってあった。
「パチンコ屋じゃねーんだぞ!」なんて、ご相談者の若者に悪態をついたこともあった(笑)
今、そこには無機質にそびえ立つビルがあるだけ。
ただ数分間……そのビルをボーッとしばらく眺めた。
そこで仕事をしていた6年数ヶ月を振り返り、あの人やこの人との記憶を辿り、独りでにやけつつ、復帰して間もない、体たらくの情けない自分の涙を拭いた。
はたから見れば、笑って泣いてるヤバイやつ(笑)
その後、毎日の様に通っていた蕎麦屋で、二色二枚盛とトリ天を食した。
これも二年半ぶりだった。
ここより旨い蕎麦屋はきっとたくさん有るんだろうが、今日はノスタルジックな気分だから、ここじゃなきゃダメなんだ。
ビルオーナーのTakashi Goto(後藤専)と知り合ったのは9年前。
秋葉原の早朝交流会で。
当時ワタシはフリーランスでコンサル2年目。
池袋東口の喫茶店を拠点に仕事していた。
朝となく昼となく夜となく……都内の交流会を巡り、人脈作りにいそしんでいた。
あの頃は、誰もワタシの話をまともに聞かない。
「怪しい」「ペテン」などと中傷されながらも歯を喰い縛る日々を過ごしていた。
とある交流会で40秒のプレゼンをする機会があって、その40秒に食い付いてきてくれたのがTakashigotoだったんだ。
「面白そう。昼飯喰いながら詳しく聞かせて」と、新宿のパークハイアットで3000円もするパスタをおごられ、約3時間しゃべった(笑)
takashigotoが言ったんだ。
「そんな尊い仕事、喫茶店でなんかやってちゃダメだろ!オレのビルでシェアオフィスやるからそこに入れよ」
って言われて、そこに会社登記して入居してからのお付き合い。
結構長いお付き合いになった。
ワタシの一方的な休業宣言で、彼のところにも多くの問い合わせがあった様だし、しばらく音信不通にしていたので心配かけたお詫びを申し上げた。
いつもの飄々としたキャラクターで一笑に付されたよ(笑)
頻繁に会っていたわけではない。
用事があるときしかコミュニケーションしない。
コミュニケーションは専らSNS。
人間関係は時間や密度ばかりではない事は彼から学んだ事は間違いない。
休業前にいくらか業績が良くなって、いつも食事を奢ってくれる彼に奢り返した事があった。
「オレもお前に奢られる様になったんやな~」って言われたとき、少し彼に近づいた様な気がしたんだが、1年半のブランクで、またまた大きく水を開けられた。
ホテルオークラの久兵衛さんに招かれ、楽しく語らったんだが、同時に彼から………
「早くここまで駆け上がって来い!」って言われている様だった。
無論、彼はそんなことを口にだしたりはしないが。
現在、毎月2回ほどセミナーのために上京するが、数回に一度は神田小川町を訪ね、小川町北ビルを数分間眺め、「同じことは繰り返すまい」と心に誓う。
みながわただよしは、新潟のフリーター。
たちばなはじめは、東京のコンサル。
こんな住み分けを自分に言い聞かせ、新潟から東京に通い続ける。
充実した時と仕事、楽しい思い出、そして気のおけない友人がいれば、そこがオレのホームタウン。
土地や建物が在るか否かはあまり関係がない、と言う思いを強くした。