たちばなです。
先日の話です。
テレビからなんだか、WEBからなんだか知りませんが、どこかで観たのでしょう。
次女と三女がいうのです。
「パパ!土曜日ママがいないから、食事の時にしたいことがあるの!」と。
子どもたちの意向でやってみました。
「ソーセージ各社の食べ比べ」(笑)


正直ね・・・違いなんかほとんど無かったです。いや、感じなかったです。
強いて言うなら・・・「赤さんウインナー」が一番ウマかったかな(笑)
こんなので娘たちは満足だったようです。
中学生なんか・・・まだまだガキだね(笑)
さて・・・少し執筆が遅れましたが、10月度の東名阪と博多・熊本セミナー行脚が終了しました。
東京17名
名古屋7名
大阪6名(リモート10数名)
博多7名
熊本20名
11月のセミナー開催はありません。
その代わりと言えるかどうかわかりませんが、現地個別面談会を東名阪で開催いたします。
11月10日15時時点での空枠をお伝えします。
■18日(火)東京神田
14時~
15時~
16時~
■19日(水)名古屋椿町
13時~
14時~
15時~
16時~
17時~
■20日(金)大阪梅田
14時~
15時~
17時~
各一時間ずつ枠を設けました。
すでに少しずつ枠は埋まっています。
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次回のセミナー開催は12月です。2025年内で最後の開催です。
12月2日(火)東京駒込16時~
12月3日(水)名古屋名駅16時~
12月4日(木)大阪心斎橋16時~
詳細は、たちばなはじめ公式サイトにて確認願います。
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今回も数多くの方々にご聴講いただき、「人生改革の布石」を打たせて頂きました。
「人生改革の布石などと・・・大げさでは?」と、お感じになる方もいらっしゃるかもしれません。
そうお感じになる方はきっと・・・「平時」の方ですね。資金に余裕のある方なんでしょう。
たちばなはじめこと、新潟のみながわさんは「新潟県内の資産家の元ボンボン」です。
小さな頃から比較的「羨ましがられたタイプ」です。
「お前んちは金持ちだからな・・・」
「お父さんPTA会長だしな・・・」
「お父さん有名人だしな・・・」
この様な事を言われ続けた人生でしたし、それを愉しんでいる自分もいました。
更に、24歳でワタシはTSUTAYAのFC事業を始め、店長兼事業部長でした。
当時は「プレイステーション2」が発売された頃でして、当時のメディアレンタル事業は「VHS」だったものが大きく「DVD」に変わった時期。
仕入れも下がり売り上げは伸びる。
1998年あたりで人口当時4万人の見附市に150坪の二階建ての店舗を建立し・・・
日商100万円。オール現金。
年商3,7億円。オール現金。
経常利益率8%。
24歳~29歳まで、店長兼事業部長であるワタシの収入は1500万円を超えました。
当時は独身で、自分の為だけにカネを使える時分でして・・・キッチリ「天狗」でした。
言い方悪いけど・・・周辺の同級生や事業主仲間が「バカに見える」。そんな時期でした。
「過信」と言えるほどの自信家で、振り払っても振り払ってもどんどん人間がワタシに近づいてくる・・・本当にそんな20代を過ごしました。
5年ほどで事業部内の内部留保が6000万円を超え・・・「二店舗目・・・無借金で行ってやらあ!メガフランチャイジーの実現したらあ!」
そんなひそかな野望を持っている時期でした(笑)
今思えばそんな発想は嘲笑されるべき事だったでしょう。
でもね・・・事業運営が順調な時って、ずっとそれが永久に続くように感じるんですよ。
2002年の9月の事でした。
当時、工業用燃料の卸先の事業が破綻し、手形による取引をしていましたが焦げ付きました。
月商1000万円ほどの取引で、手形が180日。
約6000万円の手形の買戻しをしなければならない事態に見舞われました。
ワタシが30歳の頃です。
TSUTAYA事業で作った内部留保がそのまま手形の買戻しの資金に廻され、翌月以降9年もの間・・・ワタシは年収約200万円でした(笑)
ハイブリッドエンジンの台頭やECO文化による燃料効率化の煽り、当時史上初めての「燃料油の需要低下」時代が到来しました。
同様に、ケータイやI-MODEなどの台頭、「ダウンロード文化」の波も押し寄せ・・・
石油製品も売れず、TSUTAYAも減退気味。
内部留保も吐き出してしまい、銀行に平身低頭し、どうにかカネを繋ぐ・・・銀行の人当たりはドンドン強くなり、親父とワタシが必ず二人で呼びつけられ罵詈雑言を浴びせられ、親子で帰りの車中で励ましあう、そんなワタシの30代でした。
それでもワタシは「地元の名士である親父の目が黒いウチはやめるワケには行かない」と自分に言い聞かせ、銀行に頭を下げ続け、罵詈雑言を浴び続け、手形を割り引き、借金を重ね・・・気が付いたら9年間リスケジュールを続けてきてしまっていました。
銀行以外の周辺は我々の「資金的困窮」を知る由もなく、「金持ち扱い」を我々に対してします。
当時親しかった友人に
「なあ、オレってそんなに金持ちに見えるか?」とぼやきつつ問うてみると、友人はまっすぐオレの目を見て「見える!」と言いました。
「周辺の目など、なんといい加減なものか・・・」肌で実感しました。
更なる経費削減の為に・・・
当時所属していた青年会議所を中途退会し、
当時親父が所属していたロータリークラブを退会させ、事務員や営業スタッフの首を切り、配達や接客作業をやりながら、会計作業を自分でやるようになりました。
いくら削っても、いくら削っても・・・資金繰りは良くなりません。
そりゃそうですよ!「借りすぎ」なんですから!(笑)
今なら手に取るようにわかる事も、当時追い込まれ、冷静になれないワタシには理解が及んでいませんでした。
そりゃそうですよ。営業利益が出せていない、つまり事業そのものの採算が合っていないのですから(笑)
そんなある時・・・親父が死にました。急死です。
ある朝「ん~・・・なんか体調悪いなぁ~」って言い始めて夕方には息絶えていました。
大変尊敬していた親父でしたし、今でも親父はワタシの理想の経営者像ではありますが・・・
そんな親父が死んだとき、ワタシはちょっとうれしかったんです。
「やっとこの会社をやめられる!」って思っていたんです。
事業をやめる事が巷で明るみに出始めた時・・・一気に周りから人がいなくなりました。
今までチヤホヤしてきた人間たちが蜘蛛の子を散らすようにいなくなるんです(笑)
あからさまな世間の対応にワタシは怒りや悔しさよりも、自嘲的な笑いが先にこみあげて来ましたのは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
「良い時は振り払ったって人は自分にまとわりつき、悪い時はどうやったって人は自分から距離を置く」
これを強く感じ、「親父も死んだし、オレは自分で稼ぐしか無えッ!」と一念発起したのが39歳。
妻と結婚して6年目の事でした。
そこで志した仕事が、現在の「資金繰り支援コンサルタント・たちばなはじめ」でした。
血心を通じて存在を知るに至った、とあるコンサルからの教えを受け、「破産回避」を知り、破産回避できたことでいくらか資金が残せた。
「この経験は仕事になる!この知識はビジネスになる!」と思い、新しく法人を設立し・・・何度かの紆余曲折を経て、現在のワタシがいます。
その後、この仕事を続けて15年と5か月目に入りましたが、そこでもワタシは多くのノウハウを蓄積し現在に至ります。
そんなワタシが、皆さんが日頃あまり認識しない事について、個別面談時にアドバイスしているメッセージを下記に30項目上げます。
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