たちばなです。
人間はこの世に生を受けた瞬間に、誰しも例外なくいずれ訪れる「死」にも向き合っていかなければなりません。
ただほとんどの人間が日常の生活に忙殺され、「死への概念」が忘却の彼方となります。
ましてや規模の小さい事業主は人員も予算も限られ、事業運営のための煩雑な作業を何でもやらなければならず、日常のルーティーンに忙殺され「死生観」などの思考に至らず、「齢を重ねない・死なない」という前提で事業を継続してしまった時に、その尻拭いはもっぱら「遺された者」の仕事になり、その遺された者の不遇をワタシは幾度となく目の当たりにしてきました。
4年前に余命宣告を受けた、とあるクライアントとその奥さんに継続的にアドバイスを続けておりました。
「自身の死後の遺された者への配慮」をテーマに。
現在は、その会社を奥様が引き継ぎ、今後自らに降りかかる相続問題や引き継いだ財産や負債の対応について「平時の心得と有事への備え」をテーマにアドバイスを続けてまいります。
【人間など現世における仮の姿でしかない。遅かれ早かれやがて死ぬ。自ら命を絶ってはいけない。たかだか借金で。たかだか借金ごときで。】
「当事者の死にざまと配偶者の生きざま」について実録を踏まえ「たちばなはじめの死生観」について文にしたためました。
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