たちばなです。
土曜日・・・今日はバイトは早出勤。
その前に一筆。
バイト先で、ワタシはとある先輩の姿を見なくなった。
50代半ばだったと思う。そういや入社33年とか言ってたわ。
別に仲良かったワケじゃない。
さりとて悪い印象があったワケでもない。
顔合わせれば挨拶する程度。
たまーに立ち話くらいはしたかな。
ここ半年くらいでその先輩は、三度ほど仕事のミスをし、その度に上席から叱責を受け、配置転換されていた。
行く先々でミスやトラブルを重ねたんだ。
ワタシ含め、周辺が……「少しあの人おかしいんじゃない!?」とみんなが思い始めたのが、約3週間前。
あまりにミスが続き、配置転換する度に新しい仕事を覚えては忘れる。
先日、医師より「アルツハイマー性認知症」と診断された様だ。
即日、医師から車の運転を禁じられた、との事で出社出来なくなり、姿を見なくなったんだ。
確か………独身で両親は既に亡くなり、無職の兄と暮していると周辺から聞いた事があったんだ。
新潟の片田舎で、無職の兄を養っていたのだろう。
そんな彼がアルツハイマーにかかり、職を失い、運転も出来ない。
全然仲良くもなかったし、ワタシに出来る事など無い。
ただただ、彼と兄の今後を考えると………暗澹たる気持ちになった。
社内でその話が流れ、話のネタになったのは………その日限り。
翌日から、仕事は何事も無かった様に進んでいく。
ワタシだって、ここで一丁前に文章をしたためてはいても、その会社では末端のアルバイト従業員。
師走の繁忙期でもあり、目の前の仕事をこなしていくだけ。
やがて、彼の記憶は薄まり……ワタシの脳から消えていくのだろう。
なんか………世知辛いね。
一方で、先日のzoomでは都内に住む40代の女性から資金繰り相談を受けたんだが、話を聞くうちに80代の父親の話になった。
「娘の負担になりたくない」と、自ら望んで長野県内の老人ホームに移り住むことを望み、親子離れ離れで暮らしていたんだが、コロナ禍でその老人ホームで軟禁生活を強いられたようだ。
その期間は数ヵ月に及び、父親はそのストレスに耐えられず、しばらく都内の自宅で暮らすことになった。
都内での生活をしていても、いずれコロナ禍の終焉を迎えれば長野に戻る為に、家賃は払い続けなければ成らない。
父親は、コロナ禍が一段落すれば老人ホームに戻りたいから住所は長野のまま。
長野の住所のままでは、都内の介護や各補助は受けられない。
都内に住所を移せば、長野の老人ホームとの契約は打ち切られる。
長野の老人ホームコストと、都内での生活コストが嵩み続けた事がキッカケで、ワタシに相談せざるを得ない状態になった様だ。
なんともジレンマだ。
彼女は言う。
「90近くなっても、なまじ元気だから軟禁状態に耐えられない。言い方悪いけどいっそボケていてくれたら、軟禁すら父のためだったかも知れない」と。
残酷な言葉に聞こえるかもしれないが、恐らくこれが本音だろうし、ワタシも彼女の立場になればそう思わない、とは言い切れない。
ある意味、認知症になった本人は自らの不幸を感じないのだから、ある意味幸福とも言える。
不幸は本人ではなく、その周辺の近親者に及ぶのだ。
超高齢化社会で、なおかつ少子化が加速するニッポン。
人によっては「人生100年時代」を謳う人もいらっしゃる。
人間の寿命が伸びる事を両手を上げて喜ぶのも悪くないが、「健康」であることの方が遥かに重要と改めて感じた。
ワタシの関わる資金繰りなど、あくまでも健康であることの次に大切な事でしかない。
「人生で2番目に大切な事でしかない」のだ。
ここ数日で、「ボケる不幸」と「ボケない不幸」の現実を見た気がした。
追伸、
少し前の大阪出張の際、新潟駅で関西弁の高齢者に声をかけられた。
「新潟空港行きのリムジンバスの乗り場はどこですか?」と。
「あ、オレもそれ乗るから乗り場まで一緒に行きましょ。」とワタシ。
この文章をしたためている途中に遭遇した出来事だったので、いつもより、穏やかな口調になった事を気づいた頃には、新潟空港に到着した(笑)